国の狭間で生きる人の物語

こんにちは。

 

僕はアメリカのオハイオ州大学図書館・地域研究科で司書アシスタントとして3年半勤務していましたが、そのうち半分以上の時間を費やし、トーマス・ソング(Thomas Gregory Song/日本名:小原 博/韓国名:송재동, 以下「ソングさん」と省略)と言う、国の狭間で生きた人の物語を整理した文献集に携わって来ました。ソングさんの人生経歴は僕の歴史研究のために素材を提供してくれ、さらには僕自身のアイデンティティーについても色々考えるきっかけを与えてくれました。本編では、歴史的事実に基づき、いくつか現代では使われていない、もしくは問題視されている名称(例えば:朝鮮人大日本帝国臣民)、国名(例えば:満洲国、大日本帝国等)などを使用しますが、これはあくまでも歴史を客観的に復元してソングさんの物語を再現するためであって、差別的な意図、もしくは過去の栄光を称える目的ではありません

 

ソングさんは1929年に、当時東京在住の朝鮮人(朝鮮半島出身の大日本帝国臣民を指す)家庭にて生まれました。ソングさんのお父さんは鉄道省(現在の国土交通省、JR)の職員で、お母さんは医者でした。1934年に、ソングさんのお父さんが満洲転勤となり、南満州鉄道で働くエンジニアとなったため、ソングさん一家も満洲国の大連市に引っ越し、そこで1946年まで過ごしました。満州にいる間、ソングさんも他の日本人(大日本帝国臣民)と共に日本の教育を受けて育ちながら、同時に西洋の文化、思想、言語も学びました。それゆえに、ソングさんは子供の時から日本語、英語、エスペラント語などを話し、カトリック教会にも通い、「日本人らしさ」と「西洋人の思想」を併せ持つ朝鮮人になりました。

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1946年、ソング一家は満洲を占領したソ連軍の協力のもと、大連市からソウル(大韓民国ができる前の)に逃げ、ソウルの在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁のもとで秘書として働きました。秘書として働いているうちに、ソングさんも数人のアメリカ人と仲良くなり、そのうちの一人が、彼の渡米に救いの手を差し伸べてくれた協力者でした。でも、ソウルにいるのに、なんでまた渡米する必要があったのでしょう?原因はいくつかありますが、まず、満洲で第日本帝国臣民として育ったソングさんは韓国語(当時は朝鮮語と呼ばれ、今でも北朝鮮は「朝鮮語」と呼んでいる)を喋れず、朝鮮半島の文化、歴史と価値観についての知識も皆無でした。また、ソングさんの両親は当時のお見合い結婚文化に抵抗し、自由恋愛を経験して結婚したので、ソングさんも韓国社会からかけ離れ、高等教育を受ける機械を失いました。

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1948年に渡米したソングさんはボストンで高校卒業し、その後ダーツマス大学の数学専攻に進学しました。大学卒業後、ミシガン大学大学院で哲学とライブラリーサイエンスについて研究をしました。しかし、当時の世界情勢は冷戦の真っ最中で、反共産主義の波がアメリカ国内まで影響し、共産主義者の疑いを掛けられた人たちは次々と逮捕されました。ソングさんも、そのうちの一人です。実際、ソングさんは本当に共産主義者ではなかったものの、子供の頃に両親の影響を受けてマルクスの著書を読み漁り、アメリカに行っても図書館で共産主義に関する本を読んだり、講義に参加したり、また大韓民国政府に賛同しなかった、と言う理由で逮捕されました。ミシガン州デトロイト市の監獄で10日間過ごした後に保釈され、その後すぐに米軍に入隊し、アメリカ国籍の取得に向けて動き出しました。

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(ソングさんの共産主義者の疑いと、容疑が晴れたことに関する記録。)

1955末から1956年にかけて正式にアメリカ国籍を取得し、その後、ミシガン大学に戻り、修士号を獲得しました。それから、いろんな大学で研究員、講師、図書館の司書として仕事をして、最終的にペンシルバニア州にて落ち着き、2014年に亡くなりました。

 

ソングさんの一生を記録した文献と、ソング家族(先祖代々からソングさんの子孫まで)の記録が残されている族譜、写真、交換した手紙などが、Thomas Gregory Song Papers とSong Family Papersとして、オハイオ州大学図書館にて保存されています。2017年にThomas Gregory Song Papersが図書館に収納されて以来、僕は司書アシスタントとして、卒業までこの文献集の整理、翻訳に携わって来ましたが、この過程で、ソングさんとの「会話」を通じて、自分の「狭間で生きる」経験とアイデンティティーについて考えるきっかけにもなりました。

library.osu.edu

 

自分の「狭間で生きる」経験と、アイデンティティーについてはまたいつか書きます。

では。